この記事では、私自身の体験談を赤裸々に話しております。
しんどい思いをしているのは自分だけではないということをまずは知って、少しでも勇気を持ってもらえたら嬉しいです。
私(五十嵐)の簡単な自己紹介
整体師として25年間、大阪市淀川区(東三国)でリフレッシュ・ジョイというサロンを運営しています。
整体師としてお仕事をしていて、お客様からの精神的な悩みなどを、いつも聞いていました。
肉体の不調・体の痛みがなかなか改善しない方は、「精神的な悩みがあって、その解決方法がわからない」だから、整体に来てもいつも同じお話を聞く、、ということが続いていました。
お客様の精神的なお悩みを解消するために、2020年から、オンラインカウンセリングをスタートしました。
現在は、実店舗では整体の施術を、オンラインではカウンセリングを行っています。
私の生い立ちについて
母方の祖母が隣にいる環境で2歳上の兄と、4人家族という環境で育ちました。
私は1969年生まれで、私の幼少期の日本は、高度成長期でした。
母親は専業主婦でしたが、私が幼稚園の頃から、自宅で個人で塾のようなことを始めるようになりました。
当時は私も母の生徒として、同い年の友人と一緒に英語の絵本を読んだりしていた記憶があります。
父と、父の飲酒について
私が小学校低学年の頃、父親が関東に転勤になり、単身赴任をしていました。
その期間は2,3年は単身赴任していたと思います(曖昧ですが)。
父は、もともとはお酒が飲めないタイプだったようです。
単身赴任先で、寂しさを紛らわせるためにお酒を飲むようになったと、後に母から聞きました。
私が中学生の頃には父は大阪に戻りましたが、その頃から毎晩飲酒するようになりました。
飲みすぎるようになり、アルコール依存へ
当時の父親は、どんどん飲酒量が増え、私が高校生の頃には、泥酔し、翌日会社に行かない日が増えていきました。
飲みすぎて、その翌日、体調が悪くなる。
体調不良で1、2日は家で療養する。
胃腸を悪くしてトイレに通いながら横になって過ごし、回復してきた頃に「雑炊を食べたい」と母に頼んでいました。
大体、数日サイクルで飲み過ぎて体調を崩し、休む、、という感じでした。
当時、母親は自宅のすぐ近くで塾を経営していました。
子どもが多い時代で、私と同世代の近所の子どもたちがたくさん塾に来ていました。
平日は毎日、教室をオープンして、他の曜日は答案の採点と、次の教室日のための準備に追われる・・。
バブル期で、日本全体に活気があった時期です。
母と、隣の家にいる祖母(母方)は医者で通勤も開業もしていたので、二人は多忙を極めていました。
多忙な母と、仕事に行かない父との対比が激しくなってくる
そんな中、父だけが一人で酒を飲み、会社を休んだり、家で何もせず暮らしている・・。
父は、昼間に眠っているので夜は眠れなくなりました。
それなのに母が眠っていることに腹を立てて、夜中に母を叩き起こし、暴力を振るうようになりました。
夜、父母が喧嘩する声が聞こえる・・。
「また始まったのか」
私はそう思っていました。
兄は当時高校生でしたが、小柄な父よりもずっと身長が高く体格が良かったため、兄が介入すると父はすぐ大人しくなりました。
でも、、兄が父母の間に入り止めてくれることはほとんどありませんでした。
兄はその後すぐに大学生になって、隣家の祖母の家の2階に移り住んでしまいました。
祖母の家は、隣家とはいえ、別棟です。
家には、父母と私の3人となりました。
それからは、私は母といっしょに父の暴力に立ち向かうことになりました。
暴力のターゲットは基本的には母でしたが、私も父に腹が立っていたので喧嘩を売ったりしました。
たまに私にも手を上げようとしていました(母が絶妙なタイミングで止めてくれましたが)。
父は、お酒を飲んで暴れるときには形相が変わって、怒って一人で大声を出したり物を壊したりします。
でも、その発作が収まると大人しくなります。
自室にこもり、静かになる。
父はいつも、後になって体調が悪くなり、飲みすぎたことを後悔して落ち込んだ様子になります。
「飲んだときに何をやってしまったのだろう?」と、不安や恐怖が出てきていたと思います。
飲んだ時にやったことを、覚えていないことが増えていきました。
父はなぜ「お酒に逃げる」ようになったのか?
母から聞いた話では、父は関東に単身赴任していた間は営業職をしていたようです。
父の性格は大人しく、図面を描いたり電気部品をいじるのが好きな人でした。
関東では、合わない仕事内容に苦しんでいたのかもしれません。
単身赴任から戻してもらうように母が上司に何度か手紙で頼んで、大阪には戻してもらえた。
でも、父は、戻してもらった大阪の職場でも居心地が悪かったようです。
父は単身赴任で職場を離れているうちに、出世の道から外れてしまった。
いつのまにか過去に自分より後輩だった人が出世して、役職がついたりしていたー。
(ちなみに、有名な大企業に勤務していましたが、出世できるタイプではなかったです)
会社で、つらい思いをしていたのだと思います。
悩みを誰かに相談できるほど、社交的な性格でもありませんでした。
会社でのストレスを解消したくて、お酒を飲んでしまう。
だからといって、日中、忙しく働き、疲れ切って寝ている妻を夜中に揺り起こして暴力を振るうことは許されることではありません。
私自身は、25歳頃までは実家にいました。
私の実家は都心部に30分程度で行ける距離だったので、実家から出ることも考えたこともなかったです。
短大卒業後も、就職してからも、当然のように実家暮らしをしていました。
もし実家が都心から遠方だったとしても、飲んで暴力を振るう父のいる家に、母だけを残して出ることはできなかったと思います。
私は母のことを守りたかった・・。
私と母 vs アルコール依存の父
私が高校生の頃から、何度か父を精神病院に連れて行ったことがありました。
でも、精神科で入院させてくれる期間は約1ヶ月、長くても2ヶ月です。
保険の関係か?理由ははっきりと覚えていませんが、入院させることができても、また出てきてしまう。
無理に病院に入院させた場合、父は私達に激怒しています。
だから、父が退院となると、いつも怖かったです。
入院していない期間は、複数の精神病院に相談に行きました。
当時は1990年代で、「アル中」や「DV」という言葉もリアルではなかったし、周囲も実感を持って理解できる人は皆無でした。
もちろんネットの時代でもありませんでした(まだポケベルすらなかった時代です)。
父が暴れて、夜中に警察を呼んだことが何度もありました。
警察もアテになりませんでした。
電話をしてもすぐに来てくれるわけではなかったし、来てくれても、「暴れている現場を目撃しない限りは何もできない」とのことでした。
酔って暴れて大人しくなった父が、警察官と仲良く談笑してしまう・・。
後で余計に逆上するのが怖くて、警察も呼ぶこともしなくなりました。
状況を理解してくれる人が誰もいない現実
「誰に相談すればこの状況をわかってくれるのか?」
苦しんだ時期でした。
母は、当事者として、つらい状況だったと思います。
私は、子どもという立場で、母のことも父のことも冷静に見守りながら向き合ってきました。
当時、私と母が抱えていた悩みは、
病院は「アルコール依存症は精神疾患ではない」という意見で、一定期間しか入院させてくれない。
断酒会などのグループは、「本人に断酒の意思がないと意味がない(いつでも本人の意思で帰れる施設)」と言う。
断酒会でこのことを聞いた後、母は路上で号泣しました。
父はそれを見ながらニヤニヤ笑っていました。
私は、「あー、この人ほんまどうにかならんのかな」って思って見ていました。
別のある日、とある精神科に相談に行った際、医師が、ポロッと「◯◯病院なら、ずっと入院できるかもしれない」といいました。
(医師は、「これは独り言だ」的なことを同時に言ってました)
私はその言葉を咄嗟にメモしました。
すぐに電話番号を調べて、早速その病院に相談に行き、ことが急速に進みました。
その病院はその後に大きな問題になった「モラル的に大変問題のあった、今はもうない病院」の系列です。
入院させることを決めて、私と母は、決行しました。
母の知人に協力を依頼して、なんとか父を(病院に)連行したんです。
父の病状、急な展開
父の体調は、「過度の飲酒によって前頭葉が萎縮している」とは言われていました。
だからこそ、父は自分の現状をなんとかしようとも思わなくなったのでしょうし、お酒をやめることができなかったのでしょう(人間的な弱さなどの理由で)。
お酒をやめない。夜中に暴れ出す。家族に暴力を振るう。物を壊す。
そして、自分のやったことを覚えていない。
確かに、脳の萎縮が原因だったのかもしれません。
父を入院させることができた後も、しばらくは「また追い出されて戻って来るのかもしれない」
病院を信用できず、しばらくは不安な気持ちで過ごしてしました。
もう大丈夫かな?って思うようになってから、やっと心が解放されました。
母から一人暮らしを提案され、私の人生が進みました。
やっと「大丈夫なのかな」と実感できるようになったとき、母が私に一人暮らしをすることを提案してきました。
考えたこともなかったので、すごくびっくりしました。
同時に「どうして私は家を出ないといけないの?」と傷ついた気持ちになりました。
母には理由がありました。
今まで、父のこと問題に私と母の二人で向き合ってきた。
母は「もし将来、娘(私)がどんないいパートナーを見つけてきても、絶対に反対すると思う。
だから、いつか、娘を手放す状況になったときのために心の準備をさせてほしい。」
そのために、一人暮らしをしてほしい、、という内容でした。
ありがたい申し出だと感じて、一人暮らしすることにしました。
この時点までは、私自身が異性とのお付き合いで、問題が起こるようなことはありませんでした。
中学・高校と女子校だったし、特に異性に興味をもたずに高校を卒業しました。
短大に入り、アルバイトをするようになって、ようやく初めて好きな人ができ、付き合い始めた程度でした。
男性とお付き合いした際に、「私って意外とワガママいうんだなぁ」とか「プライド高いのかも?」などと自覚するようになりましたが、その程度のことでした。
私の異性関係で問題が浮上してきました。
問題が出てきたのは、一人暮らしを始めてしばらくして父が亡くなって(死因はわからないです)、その後から起こりました。
異性と付き合う際、私の中では「父とは全然違うタイプの人」を選んでいたつもりでした。
当時の彼氏も、飲酒が好きでもなく、無難なタイプの人でした。
ある時、私がアロマのサロンをやりたいな~と思っていたら、「僕と同居したら、部屋数の多いところに住めるんじゃない?(自宅開業できるよ)」と申し出があり、一緒に住むことになりました。
もちろん、その前にお互いの親に会ったりもしていました。
実際、アロマのサロンは開業できましたが、同居していた彼が、だんだんとうつ症状が出てきました。
彼は4歳年下で、留年もしながら大学生をしていました。
そして、うつ状態でひきこもっていたので、また半年の留年をして・・。
それでも、なんとか就職先も見つけて卒業はできました。
でも、、また途中から仕事にいけなくなっていって・・。
飲酒はしない人でしたが、パチンコに行く人でした。
パチンコに行っているときは、一切連絡が取れなくなる(没頭するのか、うるさくて聞こえないのか?)
ある意味、彼も父も似ていて、その違いは「お酒に逃げるか、パチンコに逃げるか?」だったのか、、!!と思いました。
結局、その彼とは入籍をしましたが、私の所有物を壊したりするようになっていきました。
最終的には私に対する暴力にまで至って、別れることにしました。
望んでいない「モテ期」が到来して、周囲の異性を傷つけ続けました。
その頃、私は整体の学校に通っていました。
彼と別れる前には、私に怒った彼が学校に文句を言いに来たことがありました。
個人経営の小さな専門学校ですので、私は「渦中の人物」となっていました。
いろいろあって大変な時期でしたが、この時期の私はやたら異性にモテていました。
正直、モテたとはいえ、楽しくもなかったですが、、。
自分が好きな人から好かれるわけでもないのでテンションも上がらないし、嬉しくもなかったです。
当時は、自分の心が空虚でした。
なんとか気持ちや状況が変わらないか?
きっとそれを求めていたのだと思います。
とりあえず付き合ってはみたり、、、何も考えていなかったと思います。
この時期のことを振り返って気づいたこと
当時、私の心の中では、「私は私のことが好きではない(私は私が嫌い)」という思いが頻繁に出てきました。
近寄ってきた異性に対して、「私がどれだけ嫌なヤツか、教えてあげるね!」という感覚が根底にあったと思います。
私の中の私が言う。
「私がどれだけ嫌なやつか、思い知らせてあげるね!」
無意識でやっていましたが、後に気づいたとき「私は自分が嫌いだっていうことに、周囲の異性に同意してほしかったんだ!」と気が付きました。
まさにそのような行動をしていました。
「オラオラ!あんたの好きな人は、すごく性格悪いでしょ?わかった?」
そう言いたいんだな、っていう感じでした(当時は気づかずやっていた)。
だいたい、相手の人たちは、傷ついた顔をして去っていきました。
私はこれを無意識にやっていました。
当時は、「(私の中で)何が起こってるんだろうなー」とうっすら疑問に感じてはいました。
でも、誰に相談したらいいかもわからず、モヤモヤしながらもそのまま過ごしていました。
私が父への思いを手放した方法について(手放すワーク)
あまりにも似たようなパターンを繰り返したので「何か意味があるなぁ」と感じました。
その理由(原因)を知るために、どんどん自分の中で、理解を深めていく方法を自分で工夫してやっていました。
整体師になる過程で学んだ知識として「易学カウンセリング」「気功」や「瞑想」がありました。
その知識とイメージなどをノートに書き殴ったり、、
いろいろな方法を同時進行で続けました。
そして、見えてきたことがあります。
- 異性関係(男性に対して)ばかりに問題が起こる。
女性(主に友人)は、誰もが協力的で好意的で、何も問題がありませんでした。
私の性格の悪いところは、男性に対してだけだったのです。
これは、私の「父に対して復讐したい」という思いが原因なのかもしれない!
私は父のことを、許していない。
でも父は死んでしまった。
納得いかないなぁ。。そんな思いがあるのかな?そう思いました。
当時、付き合っていた男性に対して、うっすらと感じていたことがありました。
「今はやさしい顔をしてるけど、どうせいつか暴力を振るうんでしょ!」
「やるなら早くやれ(暴力など)!そして、早くどっかいけ!」
なんとなーく、そんな感じのことを思っていました。
自動書記のように、思ったことをノートに書き殴っていくうちに、そのことに気がついたんです。
書きながら、とても納得がいきました。
自分で認識せずにやっていたのか・・って思いました。
「父の思い」をイメージ(空想)してみたりもしました
ここまで把握ができたら、あとは気功(イメージやエネルギーワーク)も自分なりに使ってみました。
「父は、今、もし私の周りに意識として私のそばにいたとしたら、、、何と言いたいだろう?」
これを、あくまでも想像上で考えてみました。
生きることに不器用だった父。
口下手で、内弁慶で、思ったことを言えなかった父。
父は私を傷つけたけど、今、そのことをどう思っているだろう?
霊として私の近くにいたとしたら・・?
そうしたら、父は「ごめんね・・」って言ってるように感じました。
父も人生がうまくいかないことを望んでいたわけではない。
わざとアルコール依存症になったのではない。
思ったように生きられなくて苦しかったから、お酒に逃げてしまったんだなぁ。
父は、弱い人間だった。苦しんだんだなぁ。
そう思いました。
そこまで思い至って、始めて「もう父を手放そう」って思いました。
そう思ってから、環境がどんどん変わっていきました。
同時に、現実世界で起こっていたことについて
父への思いを手放した経緯を書きましたが、現実生活では整体師として独立するために努力していましたが、うまくいきませんでした。
時系列が少し重なりながらですが、仕事での経緯について説明します。
離婚で実家に戻ったことと、整体の学校での勉強に集中したことで、同棲しながら自宅兼用でやっていたアロマのサロンを一旦、休業することにしました。
アロママッサージに通ってくださった方や、出張マッサージなどもできなくなりました。
とてもつらかったです。
離婚を決意した当日、急遽実家に逃げたのですが、その翌日から顔全体の肌荒れが急激に悪化して、顔の半分からは膿(ウミ)が出てしまいました。
その後、改めて整体サロンを開業しようと決意して動きましたが、同時に顔の湿疹が大爆発していました。
薬を使ったら症状は一時的には収まるけど、それは一時的なもので、また湿疹が出ることがわかっていました。
幼少期から重い喘息に苦しんできたので、薬そのものが病気を根本的に改善させるものではないことを思い知っていました。
だから、顔の湿疹には薬を使わないと決めて、乗り切ろうと決意しました。
やるなら自分の施術の分野(整体や東洋医学)で向き合いたかったのです。
販売されている化粧品には化学物質がたくさん入っていて肌に使えません。
だから、自分で配合した手作りコスメを使うなどの対策をしていました。
顔の湿疹は、精神的につらいものでした。
「整体の仕事を軌道に乗せたい」と思っていましたが、顔の湿疹の影響も受けて、精神的にネガティブになることが多かったです。
同時に感情のアウトプットが下手で、他人に対して、うまく対処できないことも多かったです。
自宅での整体の仕事に加えて、常にアルバイトや契約社員などの他の仕事もしていました。
この間、ずっと自分の感情を上手くコントロールできていませんでした。
バイトや会社では、幸いにもいい条件で雇っていただいていました。
せっかく仕事に恵まれたのに、私自身の気分の波で、周囲に嫌な思いをさせていました。
相手が私の顔色を見てくる。
それを感じた私は、もっと機嫌が悪くなったりもしていました(最悪ですね)。
こんな自分をどうしたらいいのかな、、って自分でも困っていました。
自分の機嫌の波だけではなく、数々の試練に見舞われました。
私は子供っぽく単純な性格で、素直といえばそうですが、気分の波に自分でも対応できていませんでした。
わがままで扱いにくい性格、仕事はできても対人関係、上司とはいいけど、同僚とうまくいかない。
機嫌が悪いときは態度も悪いので、周囲は振り回されていていました。
整体の仕事をするにあたって、「これではいけない」と思うようになりました。
当時、ノートに以下のようなことを書き出していました。
- 整体師として、あるべき人柄とは?
→今の自分みたいな気分の浮き沈みが激しくてもいいとは思えない。
→では、理想の整体師とはどんな人か? - お客様に、気分屋の上司や同僚のことを相談をされて、寄り添えるのか?
→自分の心理面を深堀りすることで気づきが得られる。
→自分が乗り越えられたら、その方法が自分のノウハウになる。
→お客様からの相談に答えられるようになるかもしれない。
そのように項目を書き出す(・点の部分)、その下に短文を書く(→矢印の部分)という形式で書いていきました。
私には「なりたい整体師像」がありました。
日常で、自分の感情が波打った内容を書き出すと、いかに自分が感情的で子供っぽいかがよくわかりました。
「このままの自分ではいけない。変わらなくては!」と切実に思いました。
顔に湿疹が出ていても、この状態のまま仕事を続ければいい。
この姿が、クライアントの励ましになるかもしれない。
私も、日々、がんばって生きている姿を見せればいい。
そう考えて、湿疹がひどい時期でも休みませんでした。
(人が見てびっくりするほどの症状のとき、上司に通院を勧められ帰宅したことはありますが)
顔の状態に関係なく、昼の仕事に行き、駅前でチラシを配ったり、整体の施術も続けました。
人とうまくいかないという経験も、自分なりに反省や改善を繰り返しながら乗り越えました。
「この経験は、いつか必ず、人を癒やす仕事に役立つはずだから」
「苦労すればするほど、それが私の強みになる!」
そう信じて、必死で毎日過ごしました。
「人の表面だけを見る整体師ではなく、深く寄り添い、癒せる人になりたい」
その思いで、自分の「ものの考え方」を根底から見直していきました。
顔アトピーの経緯について
顔アトピーが発症したのは、離婚がきっかけでした(1999年頃)。
悪化と寛解を繰り返し、10年ほどでまったく出なくなりました。
その間、ずっと自分の心の中を掘り下げ続けていました。
コロナの時期に整体業が暇になり、整体の顧客にオンラインカウンセリング(当時は遠隔ヒーリングも)を提供するようになりました。
試行錯誤を繰り返して、最終的に今の形のカウンセリングとなりました。
「心の中をしっかりと掘り下げて、クライアントに対して物事の考え方・受け止め方を理解し、楽な生き方ができるようになってもらう」そのためのお手伝いを続けています。
気づきのタイミングは終わりがないし、気づいていないこともまだありますよ。
全てにおいて、気付きが終わる(悟り切る)ことができると思いますか?
私は、それはないと思います。
悟りきったら、きっと「この世で修行する意味がなくなる」イコール、それは死です。
学ぶことがたくさんあるから、楽しい。
ここで、数年後の私の気づきの例を挙げます。
「父のことを許せない」という思いが、異性に対する言動に出ていた、、ということを書きました。
でも、ここには、他にも兄の存在がありました。
上述しましたが、父の暴力に対処したのは、母と私です。
兄は逃げました。
私にとって、父は「自分の弱さを暴力で憂さ晴らしする男」、兄は「問題に向き合わず、逃げる男」として存在したのです。
私は、父のことを許していないことに気がついて、その気持を解放できたことで、心が楽になり、落ち着きました。
その状態から、ずっと後になって、私の心の中にいた兄の存在について気づくことができました。
大きな気付きや悟りがあったからといって、これでOKだ!ではないのかもしれません。
こうやって、私自身も、現在進行系で、日々の経験、過去の記憶を深堀りしながら過ごしています。
私自身のメンタルの癒やしが進まなかった現在を想像してみたら・・
今は私は毎日、人生がゲームみたいな感じで何があっても落ち込むことはほぼありません。
でも、長年取り組んで得られたこの成果がなかったとしたら私はどんな日々だっただろうと想像してみました。
- 友人・親戚を信用できない(相談できなかったし、話した親戚も理解がなかった)。
- 警察を信用できない(助けてくれなかった)。
- 異性が信用できず、精神面で攻撃を続けたかも。
- 人との信頼関係を築けない、維持できないかも。
- 周囲の人達が親切だと感じられず、緊張の毎日を生きていたかも。
基本的に攻撃的な性格でしたが、それは、私は「自分を守りたかったから」です。
今は、周囲の誰に対しても温和でいられます。
みんなが「いい人・やさしい人」だと感じるので、何も恐怖を感じずにいられます。
周囲に対する印象などが随分と変わったことを感じます。
AC(アダルトチルドレン)のカウンセリングについて
いかがでしたか?
「私、アダルトチルドレンかも?」
そう思ったあなたは、これから回復に向けて歩んでいきましょう。
私自身は、整体や心理学を学んだ時期にセルフワークに取り組んでいきました。
同時に顔アトピーが爆発していて、かなり精神的に鍛えられました。
カウンセリングの勉強を、徹底的に自らの体験で学んだ時期でした。
上記の説明の中には記述がありませんが、自分だけでやり遂げたわけではありません。
整体や気功の勉強会で、師や同門の人たちからヒーリングを受けたり、気功で癒やしのためのヒントを貰うなど、他人の力に助けられたこともたくさんありました。
すべてのことを「自分の力で(自力で)」というのは無理です。
「自力」と同時に「他力(他者から助けてもらうこと)」も必要だと感じました。
アダルトチルドレンのカウンセリングも、「本を読んで自分でやってみようと思っていたけど、うまくできているかわからない」「効果が感じられない」というお悩みも頻繁に耳にします。
当然です!
私達は人とのコミュニケーションありきで人生を過ごしてします。
人の力があるから、気付けることもあります。
一人でがんばってきた人こそ、カウンセリングを受けていただきたいです。
きっと、たくさんの気づきがあると思いますよ。
整体で学び取ったエネルギーワークも含めてカウンセリングに活用しています。
誰かから学んだ心理学のセオリーではなく、整体師としてのオリジナルのカウンセリングです。
気功でもカウンセリングでも、「気付き(ヒーリング)」が得られたら、気持ちが「スッ」と楽になるのは同じです。
今、自分の精神的な不安定にお悩みのあなたは、しっかり寄り添ってくれる人を見つけてください。
あなたを悩ませる環境から一時的に逃れる方法も考えてください(DVや毒親などの場合)。
私は、あなたが今の人生で経験したことを肯定できる場所へと、一緒に歩んでいきたいです。
まずは初回1,000円のカウンセリング
その悩み、1人で抱え込まずに、話してみてください。
元アダルトチルドレンがあなたの話を聞きます。
心のモヤが晴れるようになりますよ。
\24時間いつでも予約可能/
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カウンセリングでは、対話を中心に、あなたが自分の内面について自然に(苦しまず)振り返ることができるよう、お手伝いいたします。
定期的にカウンセリングを受けることによって、今までの振り返りと、ワークの振り返り、次に取り組むワークの計画をしていきましょう。